鳥公園「甘露」

 「やりたいこととかないの?」という声が地下から聞こえ、最初から意表を突いた形で劇が始まる。そして、終わった頃には時間と空間がネジ曲がったような感覚になっていた。この不思議な感覚はどうやって生まれただろうか。


 まず簡単に今回の作品のステージの様子や上演時間などの概要を書いていきたいと思う。会場は三鷹市芸術文化センター星のホール。ホールの名がつくのでさすがに広いのだが、観客席に与えられたスペースはわずかで、スペースの5分の4はステージで構成されている。
 手前から人工芝の道がステージを縦断しており、途中には花が置かれている。また、その周辺は穴があいている。その横には長テーブル、椅子、トイレ、セットの二階には洗濯物が干されている。その少し奥には縦断する黒い道。そしてさらに奥にはベンチが置かれている。広大なスペースを埋めるように縦横全てにものが置かれており、作品を見終わるとようやく何が置かれていたか把握しきることができるほどの量になっている。
 上演時間は約60分。劇中流れていく時間は上演時間の1時間ではなく、もっと長い、数日とか数週間とか、もしかしたら数ヶ月かもしれない、それほどの長い時間が流れている。にも関わらず、暗転することなく一幕で語りきる。
 60分という上演時間にも関わらず、登場する人物はそれなりに多く、関係が複雑だ。登場するのは一組の夫婦(妻・益子と夫・櫟)と、その妻の同級生二人(井尾、笠原)。その同級生のうちの一人(井尾)の友人(大熊)。その友人(大熊)が働いている職場の後輩(佐竹)と社長(菱沼)の計7人。
 その職場の社長(菱沼)は同級生のうちの、もう一人のほう(笠原)の父親で、その笠原は、一組の夫婦の夫(櫟)に対して恋心を抱いている。彼が結婚しているとも知らずに。そして、妻・益子にバレているとも知らずに。


 さて最初に書いた、この作品を観ているとなぜ空間や時間がねじ曲がって感じるのかという疑問に答えないままここまで来てしまった。ここからはこの疑問に向き合っていこうと思う。今作品では7人のいくつもの関係性を60分で描いていくにあたり、音楽で言えばテクノやハウスミュージックで言うところのDJミックスのようなことが行われている。
 例えば、最初の場面では地下から、働く二人の男性、大熊、佐竹のやり取りが聞こえてくる。ただ、そのやり取りの途中から益子と井尾が舞台上に登場し、彼ら二人のやり取りとは別のやり取りを始めていく。大熊、佐竹のやり取りは徐々に声量が落ちていきフェードアウトしていく。こういった2つのやりとりが交差しないパターンもあれば、2つのやり取りが交差す場合もある。菱沼が佐竹と仕事の話をし終えたあとで、本来は全然違う場所にいるはずの同級生の3人の会話に割って入り、娘と話始める場面などがこのパターンにあたる。
 音楽のミックスの場合はスムーズに曲が繋がれていき、それに合わせて踊っていると、気がついたときには最初に聞いていた曲とは違う雰囲気の曲が流れていて、一体何曲ぐらいの曲が繋がれ、どれほどの時間が経ったのかわからなくなることがある。
 それと同じようなことが、この「甘露」という作品では起きている。異なる組み合わせのやり取りが次々と繋がれていく。気がつくと場面が変わっているほどのシームレスな場合もあれば、無理矢理2つの場面が切り替えられる場合など手法は様々だが、連続して流れていくことで時間の感覚がわからなくなり、また広くステージを使う演出も合わさって空間のどこに焦点を合わせていいのかわからなくなっていく。


 今回の演出は、三鷹市芸術文化センター星のホールでしか成立しないものがいくつもある。時間を歪ます演出はこれからも出来るだろうが、(詳しくは書いていないが)空間が歪んでいく演出は今回見なければ今後観ることは難しいだろう。そういった意味でこの期間で観るべき作品だろうと思う。


※「甘露」に関するURLはhttp://mitaka.jpn.org/ticket/1310250/
※11月4日に行われる文学フリマ(@東京流通センター)の「カ-7」ブースにて、同人誌PENETRAを販売します。