アルフォンソ・キュアロン「ゼロ・グラビティ」。完璧な映画ではないが、圧倒的な魅力に溢れる映画。

 キュアロン監督の前作「トゥモロー・ワールド」は子どもが生まれなくなった近未来という設定で、奇跡的に生まれた赤ん坊を守りぬくというストーリーである。この映画で魅力的であったのは、驚異的な長回しによる映像である。特にラストの市街地での銃撃戦シーンは、何度観ても一体どうやって撮影したのかわからないほどの凄まじさになっている。赤ん坊を追いかけて銃弾の飛び交う市街地を通って行き、バスに避難すると同じくバスの中に避難していた人が撃たれ血がカメラに飛んでくる。その血が付いたままのカメラで映像は続いていく。ビルの中に突入するも目の前に銃弾が飛んできて何度もスウェーバックしながら、複雑な導線のビルから赤ちゃんを救出し脱出をする。この一連のシーンをワンカットで撮りきってしまう。

 こういった長回しについて、監督のキュアロンはインタビューの中でこう答えている。

 周囲の環境や状況が登場人物に対して牙をむいたり、反対に環境が人物に情報を与えたりしてサポートするなど、人物と環境の関係をリアルタイムで描きたいときに、カメラを回しっぱなしにするから必然的にロング・テイクになるんです。※1

 シーンがある解決を迎えるまでをワンカットで取るというのが、このキュアロンの発明であり、トゥモロー・ワールドを名作へと押し上げた理由でもある。
 だが、このワンカットという技法を除くと粗が見えてくる。そもそも、子どもが生まれなくなったという設定が生きているとは正直なところ言い難い。「守らなければいけない大切なもの」を作るための設定とはいえ、それ以外に未来的な設定が生きる場面があまりない。しかし、そんな決定的な粗があるにも関わらず、設定を信じこませるためであればどんな手でも使う。例えば、冒頭のビルに巨大なデジタルサイネージが設置されている映像や、世界が滅亡したという映像や、ピカソゲルニカを部屋に持ち込んでみたり。アナログなものからハイテクな映像まで使うことで世界観を作り上げていく。長回しが目立っているが、この「信じこませ」も大変なスキルである。


 
 そんなキュアロンが次に監督したのが「ゼロ・グラビティ」である。宇宙での衛星の修理中に、ロシアが自国の衛星をミサイルで爆破した際の破片が飛び散った結果、宇宙で次々と被害が発生していく。トラブルが連続する中、サンドラ・ブロック演じる主人公はISSなどの衛星を使って地球に戻るべく行動していく。

 今作では先に挙げたキュアロンの秀でたスキルである、驚異的な長回しと世界観の作り込みの2つが存分に発揮されている。まず、宇宙から地球を写しだした冒頭のシーンから、ずっとワンカットで繋いでいく。少なくとも予告編でも使われていたサンドラ・ブロックが宇宙に放り出されるところまではワンカットである。ここまでをワンカットにすることで、一気に宇宙に引き込むことに成功している。その次のシーンでは、酸素量の減少とISSへの移動をワンカットで見せることで、素晴らしいタイムリミットアクションとして仕上げている。いずれも理由のある長回しであり、非常に効果的な演出となっている。
 とはいえ、実は「ゼロ・グラビティ」での長回しはそこまで嫌らしく感じない。なぜなら、宇宙空間の映像に圧倒されてしまうために、そこまで気が回らないためだ。CGであることがわかっていても引き込まれる。それは映像の美しさもあるが3Dの使い方が上手いこともある。今作では3Dで効果的な表現である、飛び出しと奥行きのどちらも使われている。飛び出しについては様々な作品で用いられているが、3Dで面白い表現になるのはどちらかというと奥行き表現のほうだ。例えば、ヴィム・ヴェンダース監督「Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち」ではピナ・バウシュのドキュメンタリーであるにも関わらず3Dが用いられた。3Dによってあたかも自分の目の前にステージがあるような奥行きのある映像によって、ダンスを今まで体験したことのないような距離感で味わうことが出来る作品になっている。「ゼロ・グラビティ」で言えば、宇宙が最も奥行きのある空間表現であり、宇宙空間を飛び交う破片が飛び出し表現である。常に3Dになっており、どちらの表現も今までの3D映画の中でトップクラスである。

 この二つの表現の前作からの更なるビルドアップに加え、今作では宇宙という設定が生きている。なんといっても、宇宙に関するありそうなトラブルが次から次から発生する。文字通り次から次へと発生する。観ていて呼吸困難になるほどアクションシーンが連続する。それもほぼ不可避の出来事として発生する。映画が終わった頃には宇宙というものが人間ごときではコントロール出来ないことを思い知らされるのだ。

 最後にこの映画の弱点について。正直なところ、映画中盤くらいまで主人公に全く思い入れることが出来ないというのがこの映画最大の弱点だと思う。酸素が少ないのに、バカみたいに速い呼吸をしたり、酸素がなくなっているのにグダグダくっちゃべってモタモタしていたり、挙句の果てには勝手に死のうとしたり、お前本当に優秀なのか?と疑問しか出てこない。主人公に魅力がないという点については前作「トゥモロー・ワールド」から引き続いて改善されていない(準主役の、ジョージ・クルーニー演じるコワルスキーは楽しいやつなのにも関わらず…)。とはいえ、そんなモタモタした行動によって観ている観客がハラハラするので、弱点ではありつつメリットにもなっているため魅力のなさが感じにくくはなっている。

 ということで、とにかくアルフォンソ・キュアロンという監督の強みがより一層強化され、弱点も少しずつ改善されているという作品である。そうまとめてしまうとなんともショボそうに見えてしまうのだけれども、キュアロンの強みというのは際立っていて、その力を発揮しただけでその年のベスト級の作品が出来上がってしまうとほどのものである。にも関わらず、弱点までも克服しつつある。次回作で魅力溢れる主人公が登場することがあれば、恐らく歴史的傑作が誕生するだろう。

※1:http://gigazine.net/news/20131205-zero-gravity-alfonso-cuaron-interview/