マイケル・チミノ「天国の門」デジタル修復版

 一つの作品で会社が潰れるほどの予算を使ってしまうというのは、クリエイターとしては失格なのかもしれない。与えられた予算の中でいいものを作り、元を取っていくことでしか次につながっていかないのだから。しかし、それだけの予算を使ってまで追求したいクオリティというものがあったときに、そこにはある種の「狂気」が宿るのかもしれない。

 音楽でいうと、My Bloody ValentineLovelessがレーベルを潰しかけた作品として有名である。その音はといえば、ギターの音が空間全体を覆い尽くす程の轟音で、それでいて音量をどこまで上げていっても耳が痛くならないというどこまでも空間や音にこだわったものになっていた。このアルバムは「シューゲイザー」と呼ばれる一大ジャンルを作った。そして、「Loveless」のオリジナリティを超えることの出来ないフォロワーたちを今も大量に生み続けているのだ。

 マイケル・チミノ天国の門」もそういった曰くのついている映画である。撮りに撮った結果かかった金額は80億円。今の時代では、この予算の2倍も3倍もかかるような映画はあるが当時では破格だろう。興行収入でかかった費用の一割程しか回収出来ていないことからも、それはわかるだろう。

 My Bloody Valentineが空間を埋め尽くすような音に使っていた予算を、マイケル・チミノ天国の門」ではどこに使っているのか。それはおそらく、人や馬という生き物の多さだろう。最初のハーバード大学の卒業式のシーンからそれは際立っている。卒業式の後の社交ダンスシーンで、ものすごい数の人が音楽に合わせて踊る。主人公以外のエキストラのダンスはキレイに揃っており、美しいシーンになっている。このシーンも後のシーンに繋がる場面ではあるのだが、ここまで大量の人がいなくてもよかったんじゃないの?とは思う。しかし、その大量さがこのシーンに何かを生んでいる。

 また、ラストの移民グループと刑を執行する私軍との衝突シーンの場面も、ものすごい馬の数になっている。私軍を馬に乗った移民グループがグルグルと周りと走りながら取り囲み、戦いは進んでいく。50人近い私軍の周りを取り囲むには、当然その倍近い数の人や馬が必要である。それだけのものが戦う場面は、次々と現れる馬の映像と、馬が走る音、鳴り止まない銃声、殺気に満ちた声とが混ざり合い「狂気」に満ちた場面になっている。

 このラストを堪能するには、家にあるようなサイズのテレビでは明らかに小さすぎるし、ちょっとしたスピーカーもないような環境では、生き物がぶつかり合うことによって生まれた豊かな音はただの塊にしか聞こえないのではないだろうか。
 今回デジタル修復版が公開されたことによって、私たちは大きなスクリーンと素晴らしいサウンドシステムで観るチャンスを得たのだ。このチャンスを無駄にすることはあってはならない。