ままごと「朝がある 弾き語りツアー」

「演劇の面白さは本当はないものが見えること」と最初に大石将弘が話す。演劇の魅力を諭すように始まるこの劇は大きく分けて2つのパートがある。そのパートについて話す前に、この劇の内容について話しておきたい。

2013年7月9日月曜日。東京から離れたA県K町で、家から駅に向かっている一人の女性徒が道にある水たまりを飛び越えたその瞬間のことを大石が説明していくという話になっている。太宰治の「女生徒」が元になっている。
大石が初めに話した通り、その場にはいないある女性徒と周りの光景について話始める。駅、列車、町にある機織り工場、上空と飛ぶ鳥、本当は目の前に見える虹、太陽、そして彼女の友達が住んでいた家の窓。

大石の休憩、身内話(?)を間に挟みながら、大きな二つのパートでそれぞれ女性徒の様子を話していく。一つ目は7色の虹とドレミファソラシドの7音をメインに据えて歌い踊るパート。二つ目は虹やその世界そのものを原子レベルにまで言及して歌い踊るパート。

一つ目のパートは、おそらく演劇というものを全く知らない人が見ても驚き、感動を呼ぶだろうと思う。大石が手を出す動きに合わせてピアノの音がなり、ステップを踏んだ箇所に合わせて床が光ながらピアノの音がなり、セリフに「ドレミファソラシド」が含まれればその音が鳴る。いわゆる「ミッキーマウシング」的なに動きである。動きと音の異常なまでの連動はアニメーションであっても高揚感を生むものである。それを自分たちの目の前で生身の肉体で行われたときの高揚感、感動は尋常ではない。

二つ目のパートは虹や女生徒の身体について分子レベルにまで深く深く入り込んでいく、その言葉に持っていかれる。今回の桜美林大学での公演時には、ホールの後ろ半分を展覧として利用しており、今回の参考図書等が置かれていた。その中には志人の「微生物 EP」があり、この辺りが影響を与えているのだろう。一つ目のパートがとにかく見ただけでわかるポップさと比べると、言葉の鋭さや深く深く潜っていく姿が心に刺さっていく。

一般的な意味でのストーリーがあるわけではない。そのため、観客が例えば女性徒に感情を移入していくということはかなり難しい。だが、本当には見えない女性徒のある一瞬を描く、ただそれだけのことを全く異なる二つの方法で描ききることで、最初に提示した演劇の魅力を伝えることに成功している。僕はこの劇を観る機会があるたびに、何度も足を運びたいと思っている。