「ギャルと不思議ちゃん論 女の子たちの三十年戦争」

松谷創一郎さんの「ギャルと不思議ちゃん論」に関するレビューです。
1000字を目標に書いてみました。

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「ギャルと不思議ちゃん」による自らのアイデンティをかけた「戦争」を記した歴史本。「自分たち」ではない。「自分」のアイデンティをかけた戦いだ。


この本に登場する「ギャルと不思議ちゃん」はここ最近で言えば、雑誌「小悪魔ageha」に代表される「age嬢」と、アルバイト紹介サイトのanのCM等に出ている「きゃりーぱみゅぱみゅ」をイメージしてもらえばいい。
この本では彼女らが登場した理由が「男性からの目線」と「他者との差別化」の二つの観点から書かれている。


「男性からの目線」は二つしかない。男性からの注目を浴びたい(つまりモテたい)か、男性からの注目を一切気にしない(モテる・モテないということを気にしない)かだ。どちらがいい悪いということは議論の対象ではなく、女性がこの二つの考えを変化させていくのは、社会の変化や社会の女性への眼差しの変化と無関係ではないということが書かれている。


もう一方の「他者との差別化」。こちらは文字通り、他の人と違いを出すことで注目を浴びたいという心情だ。こちらはシンプルに切り分けられない分過酷だ。CUTiE少女について書かれた文を引用する。

”個性”が他人との共通性を持ってしまうと独自性は失われるので、それは個性とは言えなくなる。多くの人と共通した個性は、ときに”個性派”としてくくられ、さらに大いなる矛盾をはらむ。それは、”個性派という平凡さ(非個性)”、もしくは”ありきたりの個性”とでも言うべき状況しかないからだ。(P145)

雑誌メディアが一定の力を得ていた時代に、他の人よりも個性的になろうと雑誌に救いを求めると、それだけで没個性的になってしまう。そういった状況で、他者と差別化を図り、個性を出していくのは難しい。
この点、この本を読む限り「ギャル」のほうが緩いように思う。なぜなら、ギャルは「ギャル」であるだけで個性的だからだ(それはなぜだかはわからないが…)。不思議ちゃんを挙げる際にどうしても「篠原ともえ」や「きゃりーぱみゅぱみゅ」といった固有名詞が出てくるのと対照的である。

ここまでに挙げたのはごく一部の事例で他にもたくさんの事例が登場する。あなたが10代だったあの当時、同級生の女の子たちがなぜああいった格好をしていたのか、それも事例として載っているだろう。あのときの謎はこの本によって解決するかもしれない。

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