「メディア・イノベーションの衝撃―爆発するパーソナル・コンテンツと溶解する新聞型ビジネス」を読んだ

ゼミで読んでいる文献。
メディア・イノベーションの衝撃―爆発するパーソナル・コンテンツと溶解する新聞型ビジネス

今日までに図書館に返さないといけないので、
大事な問題だけれども疑問に思ったところだけ書いておくことにする。


この本に書いてある話はどうも視点が手前過ぎるように感じる。
この会議が行われた今、ネットにジャーナリズムはあるか?であったり、ブログにジャーナリズムか?など。
でも、そんなことを話しても答えはNO!に決まってる。
マスメディア的な役割を果たしたこともなければ、まだまだそれほどのパワーも持っていない。
その理由も個人的にははっきりしていて
多くのネットユーザーがネットを活用することでよい方向に持っていこうという意思がない。
マスメディアで「働いている」人は少なからずその意思があるはず。
その差が、ネット上にたくさんのノイズを生み出す原因になっていると思う。


だから、いろいろ理由を述べてやっぱりダメですねと話すことに何の意味もなくて、
それよりも理想のネット空間とは何か?ネットが担うべきメディアとしての役割は何か?
ということを洗い出し、そうなるためにはどんなアーキテクチャを作る必要があるか、
またそれは誰が実施すべきなのか?を考える必要があると思う。


それと、そういった状況になる前に出来ることもあるように思う。
それはネットユーザー間でどのように信頼を生み出すかという問題だろう。
僕はネット空間での発言は必ずしも実名である必要はないと思う。
例えば、はてなIDのようにある一定数の記録が残るものでの発言はOKだと思う。
実名よりはリアルな社会での実績が信頼に加わりにくいが、そのほうがいい人もいるだろう。
日本社会で本名で発言をするデメリットについてはこれが一番しっくりきている。

本名でブログを書いている人というのはよほど自身があるのか、頭が悪いのかどちらかだと思っているんですよ。匿名だと失敗したり炎上しても別の名前でやり直せるけど、本名だと一生逃げられないですよね。
会社の社長みたいに、全部、自分の責任で受け止められる人はいいけど、仕事上のことで何か言った際にその責任を自分で取れないサラリーマンもいるわけで匿名はよくないと安易に本名でブログを書かせるのはやめたほうがいいと思うんですよね。(p141)
おもてなしの経営学、中島聡、2008、アスキー新書

これはひろゆきの発言だけど、社会人の流動性が低い日本ではブログの発言で責任を取った後で
移れる会社がなかったりする。
そういう世の中で実名で発言するとメリットよりもデメリットが大きい。
それでも、ネット自体は発展していく必要があるわけでその途中段階では匿名での発言はありだと。
それでも実名という人はネットへの参加を制限しているようにしか思えない。
でも、2chとかはダメ。発言主が過去にどんな発言をしたかその履歴が残らないから。
建設的な議論が出来ない。


まだまだ、思考が深まっていないのでとりあえずここまで。
散乱しまくってるな。
ネットジャーナリズムとか、ネット論壇的な勉強を始める人には向いている本だと思います。
テーマが散乱しているので興味を持った所からググって知識を深めればいいし。