恥ずかしくてもう泣きたい。「日本語が亡びるとき」を読み終わって。

3日かかって、ようやく読み終えた。
この本を読んでの意見は寝て頭が整理された状態でじっくりまとめたい。
ただ、自分の知識の無さや読み終えるまでの自分の行為が恥ずかしくてもう本当に泣きたい。
そのことだけ、寝る前に謝っておきたい。

世界中の人たちが「自分たちの言葉」を選んでいく。
そのプロセスの中に歴史や文化がいかに結びついているのか、そのことに自分はあまりに無知過ぎだ。

ということを一章を読み終えた段階で思い文章として書いた。
それは、

実際、この半世紀ずっと平和が続き、しかも言論の自由が保障されていた国ーすなわち、第二次世界大戦というものが最後の大きな傷跡であった国からきた作家は少数であった。
水村美苗、「日本語が亡びるとき」、p43

といった国に日本も含まれていたと思っていたからだ。
というよりも、日本語というものが日々使われていく中で今のような形になったのだと思っていた。
そんなことはなかった。先人たちが闘った歴史があった。
先人たちが闘った歴史があったと一言でまとめるのにも抵抗があるが…。

ノンフィクションの本を紹介する際、ふだん私はここに目次を入れているのは本blogの読者であればご存知かと思う。しかしこと本書に限っては、それは、入れない。隅から隅まで、頭から順番に最後まで読まれなければならないのが本書である。一本道に道案内はいらない。
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51136258.html

本当にその通りでした。
自分が今書いている日本語ではない、「書き言葉」がどのように成り立っていたか、
そのことに関してあまりに無知でした。
そして、最後まで読み切ったことで得られる何かがあることも。
無知であるのに調子に乗っていちいち感想を書いて…。
誰に対して謝ればいいのだろう…。
まず、著者の水村さんにだろうな。本当にすみませんでした。


まだこの本を読んでどういった立場を取るか。考え切れていない。
ただ、

願わくばこの本がベストセラーになって、日本人にとっての日本語と英語について、これから誰かが何かを語るときの「プラットフォーム」になってほしいと思う。この論考に賛成するかしないかは別として、水村の明晰な論理による思考がぎゅっと一冊に詰まったこの本が「プラットフォーム」になれば、必ずやその議論は今よりも実りのあるものとなろう。
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20081107/p1

この言葉には賛成できる。
この本を読んで、賛成でも反対でもそれは個人がどう思うか次第だと思う。
この本はタイトルが示すような結論では終わらない。
水村さんが生まれてからこの本を書き上げるまでの体験や経験、
積み重ねられた思考等々、様々なものが重なって出来上がった作品。
これだけの本を上梓するということはどれだけ大変なことなのか、
僕には想像すら出来ない。
だからこそ読んだ上で話合うことがマナーだと感じた。