上杉隆「ジャーナリズム崩壊」を読んだ

今日、渋谷のブックファーストに行ったら新書の売り上げランキング4位でした。
今年の7月に出た本で、テーマも固いのにものすごく売れているみたいです。

これは、ジャーナリズムを学ぶ上での新しい基本書の1冊になりうる本でしょう。
国際基準でのジャーナリズムの精神が書かれているし、
それに反する日本の事例も数多く書かれている。
新聞社とか報道機関に行きたい学生はまずこの本を読んで、
それでも行きたいと思う何かがある人が行くべきなんだろう。
それだけでなく、本当に価値がある本だと思います。

感想

読んでの感想というか、読みながら思った近いようで遠い話を書いてみる。
この本以前に、ゼミにてこんな発言をしたことを思い出した。
「新聞とか読んでも、リリースまでに時間がかかっている割に大した情報がないので、
それだったら速報性の高い通信社のリリースを全部見たほうがいいと思っている」
この発言をした瞬間、教授の顔がものすごい曇っていたような。
ジャーナリズムを勉強するゼミでこんなこと言うやつ本当に邪魔だろうなー。


その背景を一応説明すると
僕個人は、「客観報道」なんてものは信じていないので、
各新聞社なりテレビ局なりが独自の色を出して、
全てを見たときにトーンが真ん中に来ていればいいと思っている。
(もちろん、電波法の問題でそんなことが出来ないのはわかっているけれど)
という論を持っているときに、独自色を出そうとしない新聞のニュースなんて、
正直通信社のリリースと見ても変わらない(と思っている)。
このことは、「ジャーナリズム崩壊」の最初にも書かれていて、

再び結論を先に述べれば、日本でいうジャーナリズム精神とは、海外でのワイヤーサービスメンタリティに相当する。ワイヤーサービスとは、日本でいうと共同通信時事通信のような通信社のことを指し、速報性を最優先業務とするメディアのことだ。(p19)


新聞業界は問題点が山積みだし、しんどい状況に追い込まれているように感じる。
この詳しくは、http://diamond.jp/series/noguchi/10040/?page=4の記事によくまとまっていた。
再販制度も、配達制度も、押し紙の問題も、ウェブへの対応もある。
よく成り立ってるなー。すげー。
ここで問われるのは、ビジネスモデル・紙面構成の変化なのだろう。


新聞社も黙って死んでいくわけではない。
今年話題になったのは、新聞の文字の大きさがさらに一回り大きくなたことだろう。

読売新聞の紙面に3月31日から、従来より一回り大きい「メガ文字」が登場した。高齢社会の急速な進展、パソコンやゲーム機の普及。お年寄りはもちろん、若い世代も目にやさしい文字を求めている。新紙面は、新聞の新しい時代をひらく。
http://www.yomiuri.co.jp/info/megamoji/index.htm

読者への説明では、高齢社会が進んでいるため読者に合わせて字を大きくといわれている。
文字を大きくして情報量を少なくすることで、読者をアホにするみたいな陰謀説もあるが、
個人的に有力だと思っている説は、
「記事量を減らすことによって記者数の減少を図っているのでは?」というもの。
収益が減っていく中で、現状の記者数を保っていくのは厳しいという考えだ。
ただ、記者の数を減らして紙面をそのままで同じ価格で販売していたら、
ただの劣化品を販売しているのと同じである。
新聞社は記者を減らして、なおクオリティを維持するための何かを考えているだろう。
僕は、それが海外のような本来のジャーナリズムに則った新聞作りなのではないか?
と勝手に期待している。
今の通信社みたいな記事ではなく、出来事を多角的に分析した記事が載る新聞。
本当に勝手な期待だと思っているが。
その布石としての新s(あらたにす)だと思うし。
要は、他の新聞と比較されても耐えうるだけの記事を書くという宣言でしょ?

まとめ

と、すごく自分の中の妄想で広がったことを書いてみた。
自分の考えも問題だらけで、じゃあ記者辞めさせられた人の雇用はどうするんだとか、
ウェブへの対応は何も書かれてないぞとか触れていないこともたくさんある。
ま、それは正直まだ思考時間が足りていないです。努力します。


ジャーナリズムに則った記事みたいなものがどれだけ魅力的に見えるかは
「ジャーナリズム崩壊」を見ていただくということで。
本の内容は、おおっぴらに語られにくい記者クラブの批判が多いです。