「希望格差社会」と八王子通り魔事件

ちょうど、山田昌弘の「希望格差社会」を読んでいたときに、
八王子の通り魔殺人事件が起きました。

まず、この本の要約をしてから話せることを話したいなぁと思います。
では、要約。

若者はリスク化の時代を生きていて、
それはニューエコノミーの台頭によるものである。
ドラッカーの言うネクストソ・サイエティでもほぼ同じ)


で、日本でニューエコノミーが広がるとどうなるかといえば、
オールド・エコノミーを生きる中高年が保護される。
(かつ、ニューエコノミーを理解しようとしない)

そのために、経済的な理由から若者が就職する入り口を調整され、
教育のパイプラインシステムから落ちて、
(いい大学を出ればそれなりの会社に入れるシステム)
フリーターやパラサイトシングルになってしまう。


フリーターとなった人たちは負け組のレッテルを貼られ、自己実現のチャンスを失う。
そのため、希望を失った彼らは
日々の苦労から逃れるために嗜癖アデクション)にはまる。
嗜癖とは、たばこや酒、パチンコやゲームとかそういったもの)
それでも解決できない人が宗教にはまったり、最悪の場合犯罪へと走る。


こういった不安定な状況を改善するための方法として力を持っているのは、
ネオ・リベラリズム派と過去の安心社会復活派である。
(ネオ・リベラリズムについては今勉強中なので後に詳しく)
山田は安心社会の復活を否定しつつ、
政府による心理的セーフティネットの必要性を説く。

要約終わり。
具体的な施策を書かず、若者論みたいになってるのはどうなのかと思いますが、
まぁそれについてはまた考えます。


では、本題に。
先日の八王子の事件はまた派遣社員として働いていた人だけれども、
この「希望格差社会」でいう最悪パターンに入る人ではないんですよね。


この本で書いてある最悪パターンと言うのは
偏差値の高い大学に入ったけど就職活動でどこも引っかからず、
かといって肉体労働な仕事も嫌だということで、
自己実現のチャンスを狙いつつフリーターみたいな人だと思うんですよ。


とは言えども、正社員になれなくて安定するのがいつだかわからないから、
家も結婚も出来ないのはそこまで大きくは変わらない。
ということで、収入が安定せずに生活するということのプレッシャーは半端ないのかな?
としみじみ思うわけです。


もちろんこれに対してメディアの側もいろいろ言えるわけで、
(ここからはJ-CASTの引用が多くなりますが)
鳥越俊太郎については

鳥越俊太郎は持論全開である。
「日本の社会格差が広がってきてる、ワーキングプアが増えている。
小泉構造改革の名の下に進められた変化が、こういう犯罪を産み出していると思えてならない」と
http://www.j-cast.com/tv/2008/07/23023912.html

とくダネの小倉さんは

「仕事に行き詰まったら、まず自分で解決するのが当然。なんで人に刃をむけるのか」
「こんなの社会のせいじゃない。だって、戦後の苦しい時期にみんなが人を殺したか、って。おかしいよ」
http://www.j-cast.com/tv/2008/07/23023918.html

ま、メディアも言いたい放題。基本的には持論しか展開しないわけで。
なぜ、そう思ったかの引用がなくて言われてもなぁと。
そういう意味で俺は小倉さんの比較は納得が出来ない。
戦後の苦しい時代と今は違うだろうと。
戦後はなんで苦しいのかの説明があり、納得せざるを得なかったはず。
でもって、少し苦しい時間を乗り切った後、
経済の成長でみんなが中流と名乗ることが出気る幸せな時代があったはず。
ただ、今は働いたからって給料が増えていく保証のない仕事についている若い人が多い。
リスクにさらされ、それに見合った希望が見出せない。
そして、なぜ希望が見出せないのかの理由がわかりにくい。
(もちろん、上の世代の人たちは努力が足りないと言うんだと思うけど。
じゃあ、努力すれば全ての人が救われるのか?)


僕個人としては、そういう風に見ています。
一般的な若者擁護派です。
ということで、この本を読むとここ2回の大きな通り魔事件に託すことの出来る物語が
そのまま書かれている。
読んでわかることをさらに水で薄めたような意見で言われても困るんですよね。
テレビって言うのはそういう場所になっている。
ある種、非常識な人たちがコメントしてるみたいな。
小倉さんの無責任な言動には最近ちょっとイラつきを覚えます。