日本人の精神と資本主義の倫理

脳家学者の茂木健一郎経営コンサルタント波頭亮の対談本。

この二人が対談して、なぜこういうタイトルの本に仕上がるのか、
よく考えれば謎ですがものすごい高い視点の精神論でお腹一杯になります。


この二人話がかみ合っているようで、視点が違う。
それは以下のような考えをもっているからだと感じた。


波頭の頭にあるのは、序盤に出てくる「ノーブレス・オブリージュ」という概念なのだろう。
これでもって、最近のベンチャー社長は…みたいな切り方をしている。
ノーブレス・オブリージュとは、この本から引用すれば、

ノーブレス・オブリージュ」とは、「高い身分や地位にある者は、それに応じた使命と義務を負う」と意味する欧米の道徳観です。


これに対して、茂木は足を引っ張る「ピアプレッシャー」への怒りがこの対談では強いのだと思う。
ピアプレッシャーとは、まとも引用すれば

「ピア」(=同輩)からの「プレッシャー」(=圧力)のダイナミクスにおいて、
戦後の日本はこれまでずっと、抜きん出ようとする者の足を引っ張ることしかしてこなかった。
平均値に引きずりおろす方向にばかりピアプレッシャーの力学が働いてきたのです。


この二人の怒りの矛先が違うために、
なんだか話はまとまっていないように感じる本のつくりになっている。
それでも、まとまっているところはまとまっていて、
例えば今の格差社会についての論述などは、まぁそうだけどさぁとは思う結論になっている。


この本に出てきて、ある意味そうだなぁと思ったのは
日本は貧しい貧しいといいながらも餓死で死ぬ人なんかはいない。
そうしたときに、お金を稼ぐのが目的ではない生き方がもっとあっていいのでは?
みたいところである。
茂木も通帳を記帳しないからいくら稼いでいるかわからない状態だけど、
今一応食えているし自分の学びたい・突き詰めたいことができているみたいな話をしている。
まぁ、ある意味そうですよね…と。


ただ、これも反論をしようと思えばいくらでも出来て
普通、茂木のように大学に6年も通って大学院にもずっといるなんて出来ないだろうとまず思う。
それは単純に大学の学費をどうするかという問題もあるし、
「文系」であれば大学院にいくほど就職しにくいという現実もある。
確かに、飯は食えるかもしれない。
でも、それは親が真剣に働いているから食べれるのであってそれは違うだろうと思う。
なんか、そこの部分については賛同しかねるなぁと思った。


ある意味幸福論について書かれた本。
もう少しファシリテートをうまくやればまとまった本が出来たのになぁと思った。