クオリア降臨


もともとは、文学界で「脳の中の文学」というタイトルで連載されていたというのが、
あとがきにある通り、茂木健一郎による文学批評。

この本を読んだときの状況

そもそも、読もうと思ったきっかけは、
茂木さんってクオリアクオリア、すごく言ってるけどそれってなんなのよ!ってこと。
そこがわからずにテレビで見たりしてもなんか効果半減みたいで嫌だった。
ちなみに、この本を読む前にはマクルーハンの『メディアの法則』をちょっとだけ読んで
フムフムと感心していました。(難しすぎて、完全には消化が出来ないけど)

感想

  • 茂木さんが発している情報はなるべくキャッチしようと思ってがんばっているのだけれど、

この人の根幹には、「この世に人間と生まれてきて、何を為すか」というのがあると思う。
(これは、もしかしたら人間として普通なものなのかも知れないけど)
それは、こんな文に現れている気がする。

数学も、科学も、文学も、芸術も、要するに生きるうえでの実際的配慮に比べれば
大した問題ではない。精神的価値を追求することは良いが、バランスを失ってはいけない。
クオリア降臨 p261

それを考えた時に、今の茂木さんには「クオリア」というものがあるのだなとひしひし感じる。
様々な体験から生まれるクオリアを感じ、解明するために本はむちゃくちゃ読んでるし、
芸術もめちゃくちゃ見てるしという人なのだなと。

  • ただ、このクオリアの考えってメディア論にも必要な視点だと思うんだよな…。

マクルーハンの「メディアの法則」も1章が視覚と聴覚について論じることから始まる。
それは、人間という生き物がどのように「もの」を捉えるようになったかを考えるということで、
クオリアについて考えることと近いものだと思うのだけどな。

  • で、雑誌の連載をまとめて本にしたものなので、

夏目漱石小林秀雄の二人はものすごい回数で出てくる。
これは、忘れられない体験をする頻度がこの2人に多いからなのだろうな…と勝手に解釈。
最近、身の回りで小林秀雄がたくさん出てきてものすごく慌てている。
ウェブ進化論の梅田さんも何かの本で小林秀雄について書いてたし、
インターン時代の上司の机の上にも小林秀雄の本があったりと驚き中。


とりあえず、小林秀雄作品に触れます、今年は。