もう映画で前後編にするの止めない? 東のエデン劇場版?を見て。

劇場公開前に次回作「東のエデン 劇場版? Paradise Lost」が公開延期になり、
何かと盛り上がっていた「東のエデン 劇場版? The King of Eden」ですが、
せっかく関東に住んでいるのだしということで、聖地巡礼兼ねてユナイテッドシネマ豊洲で見てきました。

http://juiz.jp/blog/
以下、ネタばれ含む感想になりますので、困る方は閉じていただければと思います。


そもそも、東のエデンとはなんぞやということかと思いますが、
100億円の電子マネーが入ったコンシシェルジュ付き携帯電話(ノブレス携帯)を与えられた、
「この国(日本)を正しき方向へ導く」義務を負っている12人の選ばれた者たち(セレソン)がジタバタと暴れているという話です。
このアニメの推進力となっているのは、このセレソンたちへのルールで、wikipediaから引用すると
■任務(この国(日本)を正しき方向へ導く)を途中放棄し逃亡した場合
■長期にわたりノブレス携帯を使用せず何の成果も挙げられなかった場合
■100億円を個人の欲望に使用し続けた場合
■国(日本)を救う目的が果たせぬまま残金が0円になった場合
というのがテレビのアニメ上では徐々に明らかになっていき、
この行動を止めると死んでしまうということで各人がバラバラに正しい方向に導くためにお金を使っていっていき、
これを主人公が止めたりすることでストーリーが進んでいきます。


さて、劇場版。
さっそく感想からいくと、ものすごくがっかりでした。
正直、60分ぐらい経ったところで飽きて眠くなってきて一体どうしようと思ったぐらいです。
個人的に考えた理由は、初めに書いた物語の推進力がほとんど無力化していて代わりとなる推進力がないということに尽きると思いました。
今回は、失踪した滝沢朗を見つける→命を狙われ逃げる→記憶を取り戻すという3段階で話が進んでいくのですが、
ここまで書いた通りセレソンの「この国(日本)を正しき方向へ導く」という話が出てくるのはラスト10分ぐらい。
そこまでのストーリーは、一体何なんだと思うぐらい本筋とは関係ないものが淡々と続きます。
本来のストーリーに絡むものが本当に少ないので物語が前に進んでいく感じが全くしなかったです。

正直、この劇場版一切見ないで?見ても何人かセレソンにちょっとした変化が起きているぐらいで
たぶん違和感なく見ることができるのではないかと思うぐらいです。


ということで、見終わったあとはなんで前篇あったの??という疑問のみが残りました。
皮肉にも、映画上映前の予告では同じフジテレビ系列の「のだめカンタービレ」の最終楽章前編が流れていました。
いつから、映画は長ければ長いほどいい作品ということになったのか知らないですが、
初めから前後篇ありきというのはどうなんですかねぇ。
20世紀少年がこういった流れの走りなのかもしれないですが、テレビで第1章を見た限りではダーラダラダーラダラしているだけで、
これ半分ぐらいでいいでしょ?とか、もっと不要なシーン削ればと思ったものです。


興行的には前編、後編に分けた方が儲かるんでしょう。
実写の場合には特にそうだと思いますが、製作費がちょっと増えるだけで作品が2つに出来て、
売り上げを増やすことが出来るわけですからある種「おいしい」手法なのだと思います。
(アニメの場合はこれが必ずしも当てはまるわけではないと思いますが)
ただ、見ている観客としては本来必要であるはずの尺以上のものを無理やり見せられているわけで、
必ずしも満足度が高くはならないのではないかと思います。
今回の東のエデンも今回の前編を30分ぐらいに短縮して、後編とくっつければ全部で120分に収まるわけで
それこそ1本でいいよね??と思ってしまいます。


これからは何でもかんでも前後篇にするの禁止にしてほしい。
制作者も120分なら120分、150分なら150分という映画という型に合った時間で
言いたいことを伝える努力をしてほしいなぁと思います。
そのためにどんなシーンを盛り込んで、どういうカットで見せるのが有効かという技術があるのではないですか?
一観客としては、別に長ければいい作品とかは一切思わないです。
それよりも適切な尺で適切な内容が盛り込まれているほうが満足できます。


もう「のだめ」とか絶望的なぐらい酷いんだろうなぁと見る前から思いぐったりしてしまいました。(絶対見に行かないけど)
ということで、東のエデン劇場版?もどうせ見に行くんだろうがだからこそグダグダ文句言ってしまいました。