悪魔のしるし「注文の夥しい料理店についての簡潔な報告」

 以下のレビューは、下流の観客からの視点に基いている。中流、上流の観客からはこれとは全く異なる感想を持っているだろうが、その観客になることは出来ないし、そのため気持ちを考えることも難しい。

 悪魔のしるし「注文の夥しい料理店についての簡潔な報告」は「 過去作『注文の夥しい料理店』を再構成したセルフカバー作品」であり全部で3つの席が用意されている。

・美才治真澄による特製フルコース付き上流席
・可もなく不可もない平々凡々たる中流
・逆に尊い気がしないでもない下流

 残念ながら過去作「注文の夥しい料理店」を観たことはないが、作品の紹介としてこんな文が書かれている。

観客席をS席とA席に分け、倍近く価格は高いうえ正装を強いられたS席の客は特等席に座り、 話題のフードアーティスト諏訪綾子(food creation)による、場面展開に添った食事を食べながら観劇できるという仕掛け。
逆にA席側から観ると、晩餐に興じる観客もまた舞台世界の住人のように感じられる。※1

 以前の上演で座る席のランクによって作品の捉え方が変わるという試みが行われていたらしい。この作品でいう座る席のランクというのは、例えば大きな会場にある前目の席をSランク、後目の席をAランクといったものとは全く異なっている。体験や目の前で起きることそのものが、ランクによって異なるのだ。

 そういった意味で、このセルフカバー作品は前作の観客席の関係をより広げている作品だと考えられる。まず、観客のランクは劇場に入る段階で既に選別されている。上流の客は、この料理店の正面の入り口から入ることが出来るが、下流の観客は裏口のようなところから入り、更に上流、中流の観客席ではなく、ひとつ上の階にある踊り場のような場所に設けられた席から鑑賞することになる。また席がちょっと後ろ目の位置にあるため、ステージで起きていることを正確に把握することは難しい状態になっている。

 しかし、そんなステージの見にくさは始まってしまえば全く気にする必要がなかった。なぜなら、下流の観客はこの「注文の夥しい料理店」で既に食べられてしまった人の役としてステージ上にのぼることになるからだ。作品が始まると、上の階にいるゴツいスタッフから何人かずつに麻袋のようなものが渡され、それを頭から被るように指示される。袋を被った後、階段を降りてステージの方に移動し、用意された遺書を読むように指示される。袋を外された下流の民は、これから上流の客に食べられる人の気持ちになりながら、その遺書を観客の前で読み上げる。遺書の内容はさまざまだ。僕が読んだものは非常に憤った感情のものだった。遺書を読み上げた後は、お役御免といった感じで、ステージ上にあるソファからこの作品を観ることになる。ただ、ステージにはライトが当てられているため、ステージ上で起きていることも見辛いし、ましてやこちらから観客席にいる中流や上流の客の顔を観ることはほとんど出来ない。逆に、中流・上流の客からは常にこちらの顔がはっきりと見えていただろう。

 以上は下流席から観た作品の流れになるのだが、3種類の観客にはそれぞれ全く異なる観劇の体験があったように思う。上流の観客は目の前に現れた下流の民を食べているような気持ちで目の前に出された料理に舌鼓を打ち、中流の観客はそんな上流と下流の観客の様子を少し引いた目で観ることが出来る。下流の観客は客と俳優の中間にあたる役割で、作品の中の嫌な部分を最も体験することが出来る。よって、3つの客席のランクはそれぞれに魅力を持っている。もし観た観客に不満があるとしたら、事前に内容がわかっていれば他のランクの席でもよかったというぐらいだろうか。僕は鑑賞料金、作品への関わり方などを全てトータルして下流席でよかったなと思っているし、その体験にとても満足している。

※1:http://www.akumanoshirushi.com/RESTAURANT.htm