高畑勲監督「かぐや姫の物語」

 ウォルト・ディズニー・カンパニーCEOのロバート・アイガーがカンブリア宮殿内のインタビューでこんなことを言っていた。

「質より前に「コスト」がきてしまうとリスクをとらなくなり、恐れるようになってしまうのです。それはどんな偉大なアーティストにも言えることです。
素晴らしい作曲家や画家や建築家、彼らはリスクを取っています
そして自分の作品が人々に理解されないという恐怖を抱えるからこそ、素晴らしいアートを生み出せるのです」

 今年公開されたスタジオジブリの2作品、「風立ちぬ」と「かぐや姫の物語」の2作はとんでもなく制作費がかかっているらしい。

中山「そんな中、『風立ちぬ』は興行収入が100億を超える大ヒットと聞きましたけど」
鈴木「おかげさまで120億くらいの大ヒットですけど、それでも赤字なんですよ(笑)。そこへ持ってきて制作費51.5億の『かぐや姫の物語』でしょ?今年はどこまで赤字ができるか。もう高みの見物ですよ」※1

 つまり監督、プロデューサー共にこれ以上取れないほどのリスクを背負っていて、それだけのクオリティを追求した作品と言えるだろう。そして、そのリスク負ったチャレンジによって奇跡のような作品が生み出された。

 「かぐや姫の物語」は誰もが知る日本最古の物語である竹取物語がベースとなっている。竹取物語がベースになっているというだけで、敬遠する人もいるだろうが、おそらくその原因は学校などでこの物語を読んだ記憶が残っているからだろう。断言してもいいが、この映画を見ればそんな記憶が今後思い出されることがないほど、強烈な記憶が上書きされるだろう。
 とにかく未だかつて観たことないような映像に圧倒される。1カット1カットが1つの絵としての独立した作品であっても驚かないようなクオリティで、それらが映像として動く。特に自然の描写に関しては鳥肌が何度も何度もたってしまった。予告編でも使われていた桜の木のシーンはこの映画でも気に入っているシーンのひとつだ。予告編で何度も見ていたにも関わらず、作品で観た時の感動はそれまでに見ていたときのそれを遥かに超えていた。
 風景画以外で言えば、かぐや姫命名の祝いをする宴の場面でかぐや姫が走りだすシーンが強烈だった。それまでの丁寧なトーンの映像から、黒を基調とした激しいタッチの映像に変わる。この映像を観た時に、漫画「HUNTERXHUNTER」のキメラ=アント編でゴンがネフェルピトーに失望・激怒し、自らの姿を変化させていく場面を思い出した。激しい怒りという意味でこの2つは共通している。とはいえ、「HUNTERXHUNTER」が漫画の複数カットであるのに対して、同じレベルかそれ以上の絵が映像で流れていく。感動すると同時に、どれだけの時間がかかったのかその製作スタッフに対する敬服する。

 また、別の側面からこの作品を考えてみたい。日本には古典と言われる作品はいくつもあるが、それを後世に伝えるための努力がほとんどされてこなかったように思う。そのために歌舞伎、落語、能などの日本の伝統文化が若い世代に伝えられず、徐々に衰退し始めているように思う。そういった状況に対抗するために、例えば演劇では木ノ下歌舞伎という劇団が歌舞伎等の古典作品を新たな解釈と演出で作品を上演している。先日の公演では歌舞伎の古典中の古典「東海道四谷怪談」を通しで上演した。6時間という上演時間が予め伝えられていたにも関わらず、劇場は満員だった。演出をするに辺り、彼らは一度歌舞伎の演出をDVDなどで見てコピーし、その演出は歌舞伎の地がないと出来ないことを身をもって実感した後で残すところは残し、同じことをやっても魅力的でない場面は大胆に変更したりして、歌舞伎を全く見たことがない人でもギリギリ話がわかる作品に仕上げていた。このギリギリの設定によって、今まで歌舞伎を観たことがない人が歌舞伎に興味を持たせることに成功しているように思う。
 今回の「かぐや姫の物語」はそういった古典の伝承を行うために意識的に作られた作品である。

「それでまあいろいろあったんですけどね、『かぐや姫』はどうかなあって。というのは、高畑さんも『かぐや姫』はやるべきだってずっと言っていて。『かぐや姫』っていうのは『源氏物語』の中でも紹介されてるわけですけど、それによれば日本最古の物語。これは誰かがちゃんと作るべきじゃないかって。で、高畑さんを説得して。」※2

 最初は「平家物語」をやろうとしていたが、アニメーターに断られたために選択したのが「竹取物語」ということらしい。どちらを選んだとしても、日本に古くから伝わる古典という意味では変わらない。そういった意味では覚悟の上での作品化と言える。
 その作品化で高畑は、かぐや姫や生まれ育った人たちが話す言葉を現代の言葉遣いにし、都にいる人達の言葉を古典的な言葉遣いにしている。このことで、言葉遣いの対比を生み出している。竹取の翁が九に身分不相応な言葉遣いをする様子を面白くみせたり、かぐや姫の変化も言葉遣いの変化で見せたりすることが出来ている。また、観ている観客は現代の言葉遣いなので、かぐや姫たちが山から都に出ていって感じる驚きを同じ気持ちで体験することが出来る。
 またこの観点でいうと言葉遣い以外で、やはりその画作りに納得がいく。個人的には「風立ちぬ」のような通常のジブリのアニメーションよりも、作品として驚きを持って鑑賞出来る期間が長いように思うからだ。驚愕のシーンは既に挙げたが、実際のところ観ている最中常にここがすごいあそこがすごいと思いながら観ていた。竹取物語という話が既にわかっている作品にも関わらず、飽きることなく見続けられるのはこれが理由だろう。また、この映像に見慣れるような日が来たとしても、この画であれば教育的な作品として生き残っていく可能性も高い。

 ということで、日本はこの作品を国宝やら重要文化財やら何やらに指定して、今後に継いでいくべきだと思う。それくらいの歴史的作品だと思う。

※1:http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20131206-00010000-jisin-ent
※2:風に吹かれて,鈴木敏夫,中央公論新社,2013,P379