広告の広告を賞賛することへの違和感

広告・キャンペーンを考えるとき、今までは表現の部分に力点が置かれ、広める手段は露出する媒体のリストで通用してきた部分が大きくあると思います。しかし、よほど秀逸なクリエイティブであるか、大量の出稿量でもない限り、単純なメディアへの露出だけでは、広告は届きません。インターネット上の「バナー」をクリックしてくれるのは、せいぜい1000人に1人です。

入り口が狭くなっているからこそ、情報の広がりを意識する必要があります。2次的3次的に情報が広がることで、入り口は増えていきます。
http://japan.cnet.com/marketing/opt/story/0,3800087093,20390387,00.htm#Message-complete

広告を広告することの面白さというタイトルのコラムなんだけれども、
こういった事例紹介つきの記事を見るたびにとても違和感を覚えることがある。


それは、その広告が目標としていることを達成しているのかどうか、という点である。
僕が一番気になっていて、でも調べていないので突っ込めずにいるのが、
このコラムでも紹介されている「OTONA GLICO」の事例。


確かにCM自体は面白いし、その面白さが故に話題にもなったけれど
僕の周りでOTONA GLICOを買ったという情報をネットで書いていた人は誰一人いないし、
対面で食べている人も一度も会ったことがない。
今も売ってるのかな?普段はたけのこの里を買ってしまうのです。


どこをキャンペーンの目標にしているかわからないけれど、
売上を目標にしていたとしたときに、果たしてそのCMは本当に貢献したんだろうか?
そういった検証をしているものがあまり出てこない。
そういう仕事をしなければいけないのだろうなとしみじみ思う。


広告というもの自体長期的な価値を持つものなので(だいたい3年ぐらい)、
今すぐ「よかった」「悪かった」は決められないけれど、
奇抜で話題になればオッケーというのはちょっと違うような気がする。
ま、コラム書いているのがオプトの方なんで、まぁそういうことなのかなと思いますが。